【エアシャカール】ユタカが「勝たせた」曲者
三冠馬にハナ差届かなかった漢
なぜ突然エアシャカール?!
と思われる方も多いでしょう。
いや、逆にニヤリとされる方もどこかのスキマにいらっしゃるかもしれませんね。
正直この馬については3歳時の記憶しかありません…正確に言うと三冠レースしか記憶にありません。
しかしね。
僕の愛するミホノブルボン以上に『史上最も三冠馬に近づいた馬』である彼を語るには、三冠レースだけあれば良いのです。
3歳秋以降のレースに触れると、キャトルミューティレーションされるのでwww
皐月賞-波乱のスタート-
いえ、エアシャカールが勝った事が波乱というわけではありません。
ラガーレグルスがゲートで盆踊りを始めてレースに参加しなかったという面白い事件にスタートから場内が騒然としていたのです。
馬場は稍重。
GⅠより盆踊りを選んだラガー氏を除いた17頭は、スローペースでレースを進めていきます。
エアシャカールは後方の位置取りから3コーナーでマクリに入り、大外をブン回しながら4コーナーで先団を射程圏に入れます。
中山の短い直線。
急坂を狂ったように異次元の瞬発力で駆け上がったシャカールは先頭に躍り出て、内から伸びたダイタクリーヴァを抑えきり見事に優勝を果たしました。
ちなみにこのレース、私の夢は愛しいトウカイテイオー産駒のチタニックオーでした
(惜しくない3着)。
河内の夢か、ユタカの意地か
さて、三冠の資格を持つ唯一の馬としてエアシャカールはダービーへと駒を進めます。
皐月賞で派手な瞬発力を見せつけた彼ですが、逆に「切れ過ぎ」感もありました。
とはいえマクリ気味の早めスパートから更に加速した印象でしたし、ライバルのダイタクリーヴァに距離不安がありましたので二冠達成はかなり濃厚なのではないかと予想した覚えがあります。
そして迎えたダービー本番。
エアシャカールは皐月賞と同じく後方からレースを進め、3コーナー過ぎからマクリを開始。4コーナーで大きく膨れる馬郡の大外を強引にブン回しながら直線に入りました。
その勢いのまま、早めに先頭に立つ横綱相撲。
ちょいと早くないかいユタカさんと思ったが、他の馬が勝手に沈んでいった感じでしたね。
それでも体勢的にはそのまま押し切れそうでしたが、その更に外を猛然と追い込んでくる栗毛の姿がありました。
かの無敗馬アグネスタキオンの全兄です。
ゴールは見えている。
ダービー3連覇へ、愛馬を追い続けるユタカ。
悲願のダービー制覇へ、鬼のように差を詰めてくる河内。
「河内の夢か!ユタカの意地か!どっちだーーーっ!!」
フジテレビの三宅アナの絶叫と共に、二頭は同時にゴール板を通過した。
その後、勝利を確信し手を挙げたのは兄弟子河内の方だった。
果たして長い写真判定の結果、ハナ差で河内アグネスフライトが差し切っていたのでした。
これは、ウイニングチケットで柴田政人がダービー初制覇を遂げた時と同様僕としても非常に嬉しい結果でもあったんですね。
とても感動しましたし、この直線の攻防は今見てもドキドキします。
ユタカの逆襲
その後シャカールは、果敢に海外へ飛びイギリスの伝統のGⅠ「キングジョージ」に参戦するも、5着に敗れます。
ですが、僕はこの挑戦をとても素晴らしいと思いました。
時期のせいなのか、ほとんど日本馬の参戦が無いレースですが凱旋門賞に負けず劣らずの格を持っているはずですので、もっと目標になっていいと思うんですけどね。
さて、帰国後夏を越したシャカール。激戦のダービーと海外遠征の疲れもあったのか、復帰戦の神戸新聞杯は3着。まぁここはこれでいいでしょうというところですね。
そして秋の大目標である菊花賞。
1番人気を背負い、淀の3000m戦が始まりました。
このレースは実況の杉本清アナが随所に過去の名場面を散りばめてくれて、ファンの間では伝説の名実況として語り継がれています。
「かつては昭和38年に、あのメイズイが大逃げを打った一周目のホームストレッチ」
「ここでスパートして勝ったのが、あのニホンピロムーテ(2コーナーにて)」
「さあ、このあたりから一気にスパートしたのがあのミスターシービーでした(向正面にて)」
「色んなドラマが展開されてきた第3コーナーの頂上、たまらんといった感じで先頭に立ったのがあのハイセイコーでした」
「このあたりから一気に先頭に立って菊花賞を獲ったのは、ミナガワマンナとホリスキーのこの2頭です(4コーナー手前にて)」
また馬のチョイスが渋いですが、2000年という節目の年の菊花賞だったからか特別な感じがしましたね。この実況は。
さてレースですが、こちらも後世に残る名レースでした。
ユタカの好騎乗に鳥肌が立ったのを覚えています。
①スタート後、先団へ取りついて外枠から最内へするすると移動。
②そのまま静かに、少しずつ下がりながら最内をキープ。
③中団で仕掛けどころを迎えるも、直線まで我慢。
④直線で内目の隙間を付き、一気に加速。右にヨレる悪癖を緩和すべく内に進路を取り(右に柵があるのでヨレない)、まっすぐ走らせる事でトーホウシデンの猛追を凌ぎ切った。
なんか箇条書きにしてしまうとあっけないですが、恐らくユタカの中でもシミュレーション通りの「エアシャカールが菊花賞で勝つ為のレース運び」だったのではないでしょうか。
素人の僕でも舌を巻いた、「ジョッキーが勝たせたレース」の見本だと思います。
かくしてエアシャカールは、肝心のダービーをハナ差で逃した「2.9冠馬」としてクラシックシーズンを終えました。
最弱世代でも…
しかしこのエアシャカール。
そしてライバル、アグネスフライト。
この2頭とも、その後1勝も挙げる事ができず静かにターフを去っていきました。
クラシックを戦った面々の多くが古馬になってもあまり活躍しなかったという事もあり、最弱世代と揶揄される事も多いですね。
ですが、この世代の三冠レースはどれも見応えがある好レースであり、何よりも上記のような素晴らしい名実況に支えられた「記憶に残る世代」でした。
エアシャカールの実力が本当はどれほどのものだったのか。
種牡馬になった彼は最初のシーズンの種付けを数回行っただけで、事故によりあっけなく亡くなってしまいました。
無事に種牡馬生活を送れていたら…。
一頭だけ、素晴らしい産駒を残したんじゃないかな。アベレージは低くても。
な、シャカール。
ありがとう!